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教育論説集>教師によって教育効果は大きく違う

教師によって教育効果は大きく違う

生徒ができないのは、教師の責任

 教師は、よく生徒ができないときに、生徒の努力不足や生徒の能力不足のせいだと考えがちです。「やる気がないから」、「頭悪いし・・・」など。口に出して言わないまでも、そんな風に思っています。ちょうど病院に入院した患者が死ぬと、医者が「死ぬ人は、何をやっても死ぬんだから、仕方ないでしょう」と心の中で思っているのとよく似てますが、医療の場合は、それなりに科学的な根拠があるので、必ずしも完全に不当とは言えません。しかし、教師の場合は、ほとんどの場合、全く不当です。

生徒のやる気の差や生まれつきの能力の差は大きな要因ではない

 意外と思われるかもしれませんが、個別指導で生徒を長年教えてきて感じるのは、生徒のやる気の差や生まれつきの能力の差は、あまり学力の差と関係がないと言うことです。もちろん、全然関係がないなどと言うことはないのですが、世間の人や公教育の学校の教師が思っているほどの大きな成績の決定要因にはなっていません。学校に行かないぐらいにやる気がないなら、確かに問題ですが、ちゃんと授業を受けているのなら、大した差は出ません。生徒の学力の変化を追跡していると、授業をどれだけ受けたかが最も決定的な要因であり、どれぐらいやる気があるかはそれほど大きな要因になっていません。やる気がないのが原因で学力が低いと言うより、むしろ、学力が低いのが原因でやる気がない人がほとんどを占めます。また、能力の差についても、ソフィア外語学院で学び始めると、低い学力の生徒も、学力がどんどん伸びていくので、どう考えても生まれつきの能力の差が学力差の大きな原因になっているようには見えません。

教師によって教育の成果に大きな差が生まれる

 一般の人に意外と知られていないのは、教師によって教育の成果が全く違ってくると言うことです。授業の内容というのは、同じ教科を教えていても、教授法も違うし、教える技術も違うし、生徒に話す内容も違うし、もちろん教師の人格も違い、いろいろな面で教師によって違いがあります。この様に教師により授業内容が全然違うのなら、効果が全然違っても不思議はありません。理屈はともかく、実例を見てみましょう。右のグラフは、私が大学で教えていたときの教師による生徒の平均点の違いを示したものです。こういうグラフを公表すると非常に嫌われますし、ちょっとまずいのですが、大昔のことなので、すでに時効と言うことで、匿名で公表します。A先生は、某一流高校を卒業後、そこそこ名の知れた大学を出た先生で、応用言語学を勉強して間もない人です。主任の先生は、言語学を専門にはしていますが、本当は応用言語学が専門ではなく、応用言語学は少し勉強しただけの人です。B先生は、応用言語学はほとんど何も知らず、教え方の訓練を受けただけの人です。私は自分の教授法であるを使い、A先生はそれによく似たコミューニカティブ・アプローチ(the Communicative Approach)を使っていました。主任の先生は、教授法をあまり知らないので、学校の英語の授業やNHKの英語講座や英会話講座の様な授業を行っていました。たぶん自分が英語を学習した際に、そう言う教え方しか経験していないからでしょう。B先生も主任と同じ教え方です。教材とテストは全クラス共通で、同じものを使っていました。教材は、主任の先生が選んだもので、普通のテキストでした。昔の英語の教科書やNHKの英語講座や英会話講座のテキストによく似た感じの教材で、会話の本文に単語や文法の解説を加えたものでした。テストは、主任の先生が作ったテストで、やはり学校の英語のテストにそっくりのものを作っていました。言語テストに関しても主任の先生は無知なので、自分が子どもの頃に受けたことのあるテストしか作れなかったのではないかと思われます。

「クラス編成ができない」と苦情を言われる

 このグラフを見れば、私の担当クラスが圧倒的にできるようになっていることがわかると思います。実際、平均点は約95点で、100点(満点)を取ったのは、学生の約30%にも上りました。しかも、80点を取った一人を除いて、全員が90点以上を取りました。つまり、学生の一人が80点を取り、これが最低点で、残りは全員90点以上と言うことです。この結果を見た主任は、「何かインチキをやったに違いない」と疑っていましたが、私の担当するクラスを見て、実際に学生が非常にできるようになっているのを知り、今度は何と「こんなに差ができたのでは、来年からクラス編成ができないではないですか!」と苦情を言ってきました。その前に自分の教え方を反省すればいいのにと思うのですが、教育の現場というのは、大抵はこんなものです。よく公教育や塾、予備校では、「自分で勉強しなくてはだめです」などと言ったり、口に出して言わないまでも、そう心の中で思っていたりしますが、教師の教育能力がグラフの主任やBさんぐらいなら、確かに自分でやった方がよほどましでしょう。しかし、本当は、それは教師の能力不足だったり、工夫が足りなかったりするのが原因なのですから、もっと教師ががんばるべきです。もっとも、大量生産型教育の流れ作業の中で、その一部分のみを受け持っているだけの公教育の学校や塾、予備校の先生の場合、いろいろ工夫してみても、それがどんな結果をもたらす教育方法なのか、永久に分からないままなので、どうにも進歩のしようがないと言えます。とはいえ、何もかも生徒のせいにせず、もっと積極的な姿勢を持つようにして、少しでも工夫していくべきでしょう。
2008年3月12日


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