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教育論説集>最近の子ども達の学力低下の現状

最近の子ども達の学力低下の現状

最近の子どもは、「学力が崩壊した」と言ってもよいぐらいに学力の低下が著しい

 日本の子どもたちの学力は、かなり以前から年々低下しています。ソフィア外語学院が設立されたのは1986年4月のことですが、その頃から見ても、毎年毎年学力が低下しているのを実感しています。私の場合、一対一で膝をつき合わせて、生徒と対話しながら教えている上に、教材もテストもほとんど同じものを使っていますから、そう言うことが手に取るように分かります。公教育の学校の様に大人数を同時に教えるマスプロ教育では、なかなかその辺がつかめないため、私に比べ、認識が相当に遅れているようです。公教育の先生と話をすると、どうも10年ぐらい認識が遅れているような感じがします。遠くから生徒をながめているわけですから、これは仕方のないことです。こちらは、一人一人の生徒が普段何をやっているのか、どんなことに関心があるのかなど、細々としたことまで知るほどに詳しく生徒を見ていますから、当然と言えば、当然です。その上、私の場合、幼稚園児から高齢者まで全年齢層を教えていますから、詳細にその変化が分かっています。最近の子どもを詳細に理解してる数少ない教師として、どんな状況にあるのか明らかにしておくのは、教師はもちろん、子どもを持つご父兄の方にも有益ではないかと思います。

国語の成績が5の中3でも、「あいうえお」が言えない

 「中学3年生になっても『あいうえお』が言えないなんて、あり得ない」と思うかもしれませんが、本当です。しかも聞いてみると、学校の国語の成績は5や4なので驚きます。普通、「あいうえお」が言えないような中学3年生なら、学校の国語の成績は1か2だと思いますからね。まさか5や4だなんて、考えられないです。しかも、中学もそんなにレベルの低いところではなく、中堅レベルの進学校です。中学受験を目指して猛勉強中の小学校5年生で、「あいうえお」が言えない子どももいました。こうした生徒がごくわずかいるというのなら、まだしもですが、どうも半数ぐらいいる様なので、驚きです。ひょっとすると大半かもしれません。私が教えている生徒の中では、70%前後がそんな感じです。「あいうえお」がきちんと言える子どもの方が珍しいです。ちなみに「あいうえお」が言えないというのは、「あ」から「お」まで言えないということではないのですが、途中でつっかえて、分からなくなってしまうということです。さすがに「あ」も「い」も知らないと言う子どもはいませんが、「あいうえお」なんて小学校低学年で学習するようなことなので、これにつっかえて、途中から言えなくなるのは、明らかにおかしいです。少なくともかつての日本人はそうではなかったです。

乾電池を知らない理系の高校生

 愛知県でも名門の進学校として知られる滝高校の1年生で、電子工学を大学で専攻しようと考えている生徒がいました。あまりにも無知なので、「まあ、いくら何でもこれが何であるかぐらいは知っていますよね」と言って、乾電池を見せたところ、「わかりません」という答えだったため、驚いたことがあります。これは2005年の話です。「電池」だと言うことは知っていましたが、電池の種類を知らなかったのです。それが特殊な電池ではなく、ただのマンガン乾電池なのです。マンガン電池を知らない理系の高校生なんて、考えられないですが、今ではそれが普通になっている様です。

エジソンを知らない高校生

 乾電池で驚いていては、いけません。その理系の高校生に「エジソンって誰か知っていますか?」と聞いたところ、「エジソンなら知っています。太陽電池を発明した人です。」という返事が返ってきて、びっくり仰天しました。私は、エジソンが100年も前に半導体を使った発明をしていたという事実を知りませんでした。そこで、ソフィア外語学院の高校生以上の在校生に片っ端から誰でも知っていそうなことを聞いてみたところ、ほぼ全滅の状態でした。実は、こうした調査は、2000年以前にはいつもやっていて、調査を開始した1988年頃からどんどん得点が低下しているのは知っていましたが、しばらくやめていた間にこうも悲惨な状態になっているとは思いませんでした。「全滅」というのは、正解率ゼロという意味です。実際、最高点が40%で、一名のみ。その下が30%で、一名。20%が若干名。10%が若干名で、残りは全員0%です。これはもはや、教育を全く受けていないに等しい状況としか言いようがありません。

もはや教育不可能

 ここまでひどいと、教育困難ではなく、教育不可能と言わざるを得ません。もっとも、「教育不可能」と最初に思ったのは、今から10年以上も前の1997年のことです。ですから、正確には「教育不可能であるという事実を示す確かなデータを得て、完全に確信した」と言うのが正しいです。頭の中が空っぽの生徒にどうしたら教育できるのか、それが私の直面する課題となったわけです。つまり、それはどういうことかというと、1997年以前であれば、読書を勧めるなどの昔から使い古された方法が適用可能であるかもしれないという、ほのかな希望が残っていたわけですが、こうして得たデータを元に考えると、もはやそんな方法は適用する余地は全くなく、すべての希望が失われたと言うことがはっきりわかったわけです。そう言う確かな事実を踏まえた上で、不可能を可能にする方法を考えないといけないのです。
2008年2月17日


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